20年散策つれづれ
 20年始動 1月5日
 今年最初の散策は、西大寺駅を起点に、秋篠寺、佐紀路の一端である神功皇后・成務
天皇・垂仁天皇各御陵、側の両佐紀神社を経て、平城宮跡、東院庭園、宇奈多理坐高
御霊神社、法華寺、海竜王寺を巡った。
参加者は遠来の友一人と関西地区の一組ご夫婦にシニア6名、計9名である。
久しぶりに快晴、まだ正月中なので子供が凧挙げに興ずる姿が平城宮跡で見受けられ、
ノンビリ散策を楽しむことが出来た一日となった。
秋篠寺のあといつもはさっさと次へ向かうのが常ながら、今回は隣の秋篠釜の展示室にも
立ち寄った。
展示品は、かなりの高額品のため湯飲み等の手近な品に手を出すものとてなかった。
奈良競輪場を迂回して裏道を地元の人に教えられながら、神功皇后陵を巡り、昼近くに
なって平城駅側の前にも立ち寄った喫茶店に入る。
店主一人の開店だったため、一品のみのメニューと断っていたが、スムーズに出ていた
ように感じた。食事の後、コーヒーで一頻り喋って次に向かう。
佐紀路の一画を巡って、両佐紀神社、骭大僧正墓地から平城宮跡へ。
正月休みのため、親子連れで遊んでいる人も多く出ていた。
東院庭園発掘現場から庭園内に入り、隣の宇奈多理坐高御霊神社(ウナタリニイマスタ
マミムスビジンジャ)で読み方等について舌を噛みながら口ずさんだりして法華寺へ。
正門に入るまでに法華寺のお守り社と目される目立たない神社・法華寺神社も見た。
法華寺は、以前、工事中だった蒸し風呂や浮見堂も再建?されて風情を添えていた。
海竜王寺にも立ち寄り、ここで今回の寺巡りを切り上げ、バスで近鉄奈良駅へ。
停留所横手の漢口神社を拝観したあと、いつもの「天まであがれ」へ。
今回は今年中に100回目となるため、記念散策行の候補地をそれぞれに出しながらあちこちを適地と自薦しながら、泡を飛ばしながら?議論しあった。
北海道・新十津川村とか沖縄というところも飛び出す始末であった。しかし、基本は、奈良
と結びついたところでないと適地とするには、如何かと思われるがーーー。
これは、これからの楽しみの一つとなろう。
 今年の二回目散策
寒さが厳しい時期ではあるが、奈良とは関係の深い京都府県境付近となる南山城散策に
シニア六名が出掛けた。
最初の海住山寺取っつきは急坂にかかり、結構ユックリペースで寺に到着。一人二人程度
の参拝客に出くわしたが、こぢんまりとした境内であり、桜の樹やモミジが結構植わって
いてその満開寺にはかなりの人手があるものと推察できる。
次の恭仁京跡は、説明書きがあったが、僅か四年の遷都で今思うと呆気にとられた感が
あったかと思う。
ここまでの時間配分に手こずり、昼を過ぎつつあったため、コンビニを探しながら歩くと
丁度国道脇の飯屋がみつかり、そこで昼食を摂って一息着いた後、~童寺を目指した。
大型トラックの行き交う国道脇を通過していくこととなったが、幸い崖崩れの工事中に出
くわし一時停止場所が半分程度はあったため、ぶっ飛ばすトラックにもあわず、~童寺
方面への脇道に入る。ここから桜峠を越えるが、ここもやや急な坂道であった。
~童子集落もひっそりとした村落であった。氏神も寺も共に補修工事中で肝心の仏像を
拝顔することは叶わなかった。
ここからはひたすらJR棚倉駅前まで歩き、歩きとなる。道はコンクリートで駅近くに着く頃
にはやはり足が痛くなっていた。駅側の涌出宮に立ち寄り、3時半の列車で奈良駅まで
出た。
いつもの店でワイガヤ。やはり、以前行った場所の話も出てみかんをくれた際のコースを
巡ってあそこだここだと言い合って盛り上がり、帰宅してどこだったか確認しあうこととした。
M氏が調べてメールしてきていたのは河内飛鳥の第一回目の時だと判明。それにしても
もう3年前ともなるとうろ覚えとなるものなのかーーー?
それはさておき、今日一日の歩行距離は約12〜13キロ程度と思われる。 
 
 雪の洞川泊
 シニア四名で今年一番の厳しい寒さにあたった16日から17日にかけて、雪景色と酒を
楽しみに洞川泊に出掛けた。
下市でもちらついていた雪は、広橋梅林頂上付近では横殴りの雪となり、トンネルを出た
天川川合あたりは一面の雪景色に一変していた。
ここでバスはチェーンをつけ、洞川の町に入っていった。洞川までの客は我々以外には
アベックが一組のみで、通りも人影は見あたらなかった。泊まりの旅館館主が軽トラックで出迎えてくれ、旅館に行った。
時間的には、まだ3時前後で、一休みの後、竜泉寺拝観に出掛けたが、優に30センチ
以上の積雪で一面真っ白の銀世界だった。
町の通りを、稲荷神社当たりまで行ってみたが、偶に洞川のスキー場か、ごろごろ水を汲みに行ったかの車に出会う程度で、各旅館もひっそりと表戸を閉ざしているのが多かった。
再び雪が激しさを加えつつあったため、旅館に引っ返したが、冬場の洞川は全く何もない
白銀世界であった。
 
 参加者の一人感想
 「あたらしや旅館」の女将さんに(冬の洞川は格別ですよ)と誘われ、思い切って出掛け
たが、折からの大雪で大峰山麓は一面の銀世界に変貌し、まさに格好の雪見旅となりました。
いずれ劣らぬ呑んべい4人の旅、一夜でビール、焼酎の他、熱燗20本を軽く?
飲み干したのはさすが。これも降りしきる窓辺の雪景色、哀切こもる「洞川の子守歌」の
調べ、そして吉野から手伝いに来ていた娘さんのお酌上手の成果でしょう。
それにしても彼女が文化人類学を学び、傍ら宮本常一の愛読者とは、びっくり、今時の
若者も捨てたものではありません。
宿の当主Nさんから聞いた20日放映のNHK番組を一昨日、ビデオで見ました。
当宿の揚げおかき作りを冬の風物詩として採り上げたなかなか味わいのある好番組。
当主が前面に出ず、働く村のおばさん達を中心に構成したあたりに妙味がありました。
そう思えば、あの桂信子の俳句色紙をまた思い出しますね。
   貴人(あてびと)の 召したまひけむ 揚げおかき  信子
(NHK番組のことは当日館主がこういう放送があると教えてくれたもの。2月20日午後2時から放送された番組です)   
 
 まだ つぼみ
 2月末、快晴のこの日、シニア三名の散策。
明日香の今まで回っていない飛鳥駅反対側をグルッと古墳探索をメインとして、あわよく
ばフキノトウも摘み取ろうと出掛けた。さすが、月末では出歩く人もまばらで、古墳を見て
いる間出会った人は一組の老夫婦程度だった。
地元の人もあまり畑仕事をしている人も少なく、数えるほどの人々だった。
おかげでジックリ見て回れたが、テレビ報道の真弓鑵子(カンス)塚古墳は、早や業者が
跡地整理中で立ち入ること出来ずだった。
同じくキトラも裏手の山まで回ってみたが、ここも全くの謝絶状態にしてあった。
フキノトウも最初に立ち寄った神社脇の傾斜地で見かけただけで、全く姿形を見ないまま散策していた。
最後のたよりが去年の場所、川原寺跡の弘福寺で一休みの後、行ってみると、ここも一変していて、テント小屋が建ち、それらしい場所は極端に狭められていた。
それでも、芽を出しかけている数個のフキノトウを見つけたが、摘み取るには早すぎ、
今回の収穫はゼロで引き上げざるを得なかった。
3時半頃のバスで橿原神宮に出て、更に八木のいつもの店へ立ち寄った。
天気も良く、いつも通り喉を潤して、快適な散策の余韻に浸った短時間であった。
 
 3月散策は人麻呂生誕地へ   
 久しぶりの晴天の27日、再々歩いている葛城古道の北側・人麻呂生誕地当たりの散策にシニア4名が繰り出した。久しく顔を見せなかった野草・野鳥博士も参加すると言っていたものの、待ち合わせ場所には現れなかったO嬢が、人麻呂神社から次に行きかけたところで追いつき、5名の散策となった。
聞けば尺土駅で慌てて橿原行きに飛び乗り再度の往復行をした由。ともかく、ここらあたりは、古社寺が多く点在し、全てを歩き潰すにはまだ日数を要すると感じた。
屋敷山公園や葛城山麓公園は広大なもので手入れもされているが、古社寺は中には
手入れの行き届いていない社寺も見受けられた。
当初、布施城趾も予定していたが、かなりの高地にあり、二塚古墳の続きでは急坂続きのため今回は見送りとした。
参加者の一人が期待していた笛吹神社に行き、司馬遼太郎氏の書物をひもときながら、
暫し歓談、やはり、来て良かったとの感想を漏らしていた。
帰りは、暫くアスファルト舗装路を歩かざるを得なかったが、御所駅近くのうどん屋で打上
会。先に帰ったO嬢以外の4人でこの日の汗を癒して5時過ぎの電車に乗り帰途に。
  
4月は東京シニア達と山の辺の道散策
   遙々東京から二組の夫婦とシニア四名が我が歩楽歩楽会メンバーと山の辺の道散策に繰り出した。
幸い晴天に恵まれ、ノンビリペースでいつもの山の辺の道コースを桜井から柳本まで
歩くことが出来た。
日曜日で平日に歩いた時とは異なり、大神神社当たりまでは他の人々も出掛けてきて
いて やや賑やかな散策行であった。
各自おにぎり程度は持っていたが、桧原神社茶店でそれぞれ一品程度を注文、そこで
昼食、再び歩き始めて、みかん畑や道端の万葉歌を見たりして、贔屓の卑弥呼庵に立ち
寄る。
茶筅でかき回すホットコーヒーに舌鼓を打って、暫し休憩。
長岳寺手前の天理トレイルセンタで時間調整の後、柳本バス停へ。この日は、野草摘みを終えた叔母さん達も待っていて、ひょっとしたら全員がバスに乗れないのかなあーーとも思えた。
しかし、大型バスが来て全員が乗ることが出来、予想外に早く桜井駅についた。
この日の内に東京等に帰り着く必要がある四名とは、八木駅で散会、残る11名がいつも
の店で打上会。
大勢が一堂に会するのも久しぶりのこととなった。ここで、いつもの通り、ワイガヤで盛り
上がり、約2時間ばかり楽しんでそれぞれ帰途についた。
 
 信楽作陶と紫香楽宮跡散策
 翌日、東京の夫婦二組とこちらのシニア三名が車で信楽に出掛けた。
目当ては紫香楽宮跡と遺跡見物である。折角の機会でもあるので、手ひねりの陶器制作にも挑戦。思い思いに手頃な入れ物制作に精を出し、出来上がった品物を眺めて
それぞれが悦に入っていた。
約1ヶ月後に届く品物を見て各自がどんな顔になるか、が楽しみではある。
昼食の後、既に見たことのあるY氏メモを頼りに、甲賀寺跡を回り、第二名神の手前の駐車場に車をおいて、宮町遺跡散策にでかけた。
調査事務所に立ち寄ったが、展示場が模様替えのため、閉まっていたが、中にいた調査
員の女性が出てきて、展示品の写真(色々の壺お皿、それにヒトガタの木簡)を見せて
くれ、我々の質問にも答えてくれた。
昨年だったか、天皇が立ち寄った際には、遺跡の田圃が発掘のまま見られたが、今は
埋め戻して閉まっていると教えてくれた。横手の道から少し下って、遺跡跡を見学したが、田圃の中にそれらしき遺跡群が見えるのみーーーの風情であった。
車に戻り、更にこちらに帰ってきて、高の原駅で一組の夫婦を見送った後、車を自宅に
おいてサティ内の店で5名の打上会を開いた。
この日も快晴で、暑いくらいの天気に恵まれ、迎えた当方もヤレヤレのひとときであった。
 
 県立馬見丘陵公園と古墳群
 雨を覚悟して出掛けた久しぶりの散策だったが、降り立った駅では雨も止み、日焼けを気にすることのない絶好の散策日和であった。
ここの古墳群を目当てにして出掛けたが、県立公園としてかなり整備され、四季の花々が植え込まれ簡易舗装ながら、足も痛くならない歩道が約3キロ程度は続き、格好のハイキング歩道であった。
 北エリアにある池上古墳には、回りをグルッと回れたが、古墳そのものは発掘(盗掘)済
で出土したものすらおいていなかった。中央エリアすぐには乙女山古墳があり、帆立貝式古墳として有名らしく池上古墳同様5世紀前半の築造だという。
 中央エリアには公園館があり、その中には古墳の築造模型やその歴史、発掘されたレプリカもおかれ、子供にもわかりやすくした説明が書かれていた。
ここの圧巻は、史跡ナガレ山古墳で、発掘されたままの様式を石積で展示し、頂きまで上れるようにしていることである。 ここの眺めもまた格別のものがあった。
 中央エリアの南端に、ここでの最大の古墳、巣山古墳がある。全長220メートルと大きく、展示品の一部は町の中央公民館に展示されているという。
巣山古墳と並んで、竹取物語の舞台として町が売り出している竹取公園があり、中に竪穴式と高床式の建物が復元されている。
     
 南エリア内ではないが、町の図書館の南に新新木山(ニキヤマ)古墳と三吉(ミツヨシ)石塚古墳がある。特に後者の古墳も石積で昔の姿を再現して展示している。
     
 今回は、全てを見て回ることなく、打ち切りとして引き上げたが、ここは何回か見回れると考える場所である。
 バスで近鉄五井堂駅に出、打ち上げを八木駅まで戻って小人数ながらニギニギしく
開催、中には結構酔っぱらっていた御仁も出た反省会となった。
 
 伊勢本街道御杖ルート
 奈良県の東のハズレに近い御杖村土屋原の「まつや旅館」をスタートとして、一部国道を歩いたが大半が林道の中を歩いていくという絶好の散策行であった。
スタート時間を午前七時としたこともあって、ほぼ午前中に目的とする伊勢奥津(イセオキツ)駅に近い処まで到達していた。
夕刻6時半過ぎからの夕飯兼酒盛り、
旅館は親父さんと女将さんだけで営業していることもあって、山の幸に海の幸が添えられた沢山のご馳走が並び、我々の舌を十分満たしてくれた。
我々が飲んで騒ぎ始めるといつの間にか、奥に引っ込み、最後のご飯だという時にまた顔を
見せるという粋なはからいであった。
翌日は午前7時出発、旅館館主と女将さんに見送られてスタート。最初の峠は桜峠、車道からやや山道にかかるが、ホンの僅かな距離で、越えると頂上からこの附近ではモダンな統合された御杖小学校が姿を現す。HPに見るとおりの光景であった。
早や、宿直の先生が子供が登校してくるのを門前で見守っておられた。暫く行くと、御杖村役場、まだ始業開始前だったが、登庁されてきた職員の一人が街道歩きだと分かると、親切にも地理院の地図、村のパンフ等を渡してくれた。

晴れ間も出て、暑さが応えるかとも考えていたが、全般的には曇天の一日だったことが幸いした。牛峠からはやや下り道となり、神末から逸れて御杖神社に立ち寄った。
ここは昨夕乗った村の
バス運転手が今夜この神社で祇園祭が開催されると言っていた神社であった。しかし、境内は全くチリ一つなく綺麗に片付けられ、祭りの後とはとても思えなかった。暫くすると氏子衆が集まってきて確かに夕べ祀りをしたと語ってくれた。

午前10時前には、神末集落から最後の峠と言う岩坂峠方向に歩を進めていた。
丸山公園で一休みし、姫石明神を拝んで、その峠道を下っていった。

やや細い山道を下っていくと、奈良県と三重県を繋ぐ車道に出る。我々も三重県に足を踏み入れたことになる。ここから案内板に伊勢奥津まで約4キロと出ていたが歩くうちに距離が段々短くなっていったように感じた。

早朝出発とやはり汗まみれから疲れてきて、昼飯屋を探すがなかなか見つからず、駅まで出ないと
ダメかと思っていると、やっと「きくや」というのを教えられホッとした。一人はカキ氷だけで済ましたが、他はうどん定食的なものを食べ、最終地点の奥津駅を目指した。割と早めに駅に到着、約40分後のワンマン列車(既に駅で待機していた)を待った。
1時間半を要して、松坂駅、近鉄乗換で八木へ。二日に亘った今回の街道歩きに酔いながら、
この続きを絶対決行するとワイガヤに及んだ。
 
 柳生〜笠置
  9月18日実施を延期
 生憎の台風13号が接近していた日で、時折降ってはいたものの、歩けない日でもなかったが、延期と決めた以上またの日に実施のこととした。
これが丁度100回目にあたったが、やむなく断念の一日となった。
 
 100回記念散策 みたらい渓谷〜洞川温泉行
東京から5名の参加を得て、10月17日〜18日になら歩楽歩楽会100回記念散策を実施。
東京勢が明日香周遊も希望した16日は、橿原神宮駅で自転車をレンタルして、甘樫丘
から石舞台、犬養孝記念館を巡り、飛鳥寺近くの首塚等も回って橿原神宮駅に帰着。
その日の泊まりは八木駅近くのユースホステルとした。

17日からの記念散策日は生憎の曇り空、関西地区の2名も加わり総勢9名の参加者とな
り橿原神宮駅乗車内で一堂に会して下市口へ出発。いつものバスに乗って天川川合へ。
車中では雨も降っていたが、歩き始めた時にはあがっていた。まだ、モミジ等の紅葉には早く一部のモミジが真っ赤に染まっている程度だった。
参加者の一部には風もあったせいか寒いと言う御仁もいたが、早々にいつもの昼食場所に降りて釣り人の姿を眺めながら昼飯を食べた。
0時半頃にはみたらい渓谷入り口に到着。約300段近いやや急階段をゆっくり登る。
途中、張り出している岩に頭をぶつけた御仁もいたりで一瞬ヒャッとしたが大事には至らず、滝のトップに到達。
少し歩を進めて、観音峰登山口の休憩所に入る。一休み時に小雨が降り始めたが、一呼吸待って洞川へ。
車道沿いを少しのあいだ歩いて、再び遊歩道に入る。こちらは木立の中を進む歩道で散策には好適な道である。
曇り空も明るくなりかけた頃に洞川温泉センターに着いた。まだ3時頃であった。
旅館直行には早すぎると言って、ここでのいつもの喫茶店に。店は閉まっていたが、我々の声を聞きつけた店主が二階の窓から顔を出し、「今開ける」と言ってくれた。
地元のごろごろ水を使ったコーヒーで喉を潤し、一息ついた。
     
4時前に旅館着。お茶を煎れてもらい一休みの後、龍泉寺に参詣。
ここのモミジはかなり色づいたものがあった。まわりも見回って宴会前に一風呂。
6時半頃から100回記念の宴会。今回が丁度100回目の散策にも該当した
記念すべき懇親会ともなった。関西在住者がいつになく少なかったが、東京からの参加者も加わり盛会であった。
     
旅館のおかみさんが接待に当ってくれ、途中にはここの子守歌も即興で歌ってくれたり、
特産の鹿肉のさしみも出たり鮎の塩焼き等豪華な食事で大いに盛り上がった。
 
 飛鳥から高取町へ
 11月6日 高松塚壁画公開の抽選に当たったYとUがその後、附近散策にと他のメンバーも誘った。ルートは、今年早くに一回は回った飛鳥駅の西側であるる。今回は、ここにも詳しいM氏も参加していたことから同じルートの途中までは同一であったが、その後、高取町の佐田・束明神(ツカミョウジン)古墳、岡宮天皇陵、高取町役場、土佐町の歴史街道を目指すこととした。
牽午子塚古墳を見た後、橿原市の白橿近隣公園すぐの史跡岩船まで行ったが、この巨石は、飛鳥地区でも最大級の巨岩で天から降ったか、はたまた、どこから来たのか、全く不明の巨岩で見るものを圧倒する。
真弓鑵子塚は、民有地のためとまだ発掘調査完了ではないため、立ち入ること叶わず、外から覗きこむだけとなった。
昼食は、式内櫛王命神社境内で摂った後、マルコ山古墳を回り、高取町へ向かう。
 畦道を回って、最初に佐田・束明神古墳を探しながら歩いていった。
直ぐ近くまで行って、大根を前洗いしていた農家の主婦に聞くとホンの側にあることが
判明。古墳と明神さんを拝見。ここの古墳は、草壁皇子の墓ではないかと言われているが、
発掘調査も比較的最近のことで以前はそれほど目立った存在ではなかった由。
7世紀後半から終末期の古墳と推測されている。
帰りがけにメンバーの一人が大根を洗っていた主婦に一本買い取りを申し出ると、店頭には出せないものがあるのでそれを持って行きなさいと渡してくれた。
岡宮天皇陵にたちより、高取町役場を回り、壷阪山駅に着いたが、時間が早いので、
高取の土佐町歩きに出掛けた。
この前にも来たことのある、夢創館まで行き、コーヒーを摂って一休みし、駅に引き返す。帰りはいつもの八木駅前の居酒屋でワイガヤ。今後のこと、これからの予定等色々出て大いに盛り上がった反省会となった。
 
 談山神社から聖林寺
 今冬一番冷え込んだ朝だったが、櫻井市のモミジの名所である談山神社に
シニア六名が出掛けた。
駅からはバスの臨時も出ていたが、我々は通常の路線バスに乗った。
平日にしては座席は丁度満席で繰り出す人も多いと見えた。 
談山神社終点には、遠く長野県からのバスも停車、観光客も多くいた。
今年のモミジは、以前見た時とは違って、ややくすんだモミジ色に思えた。
はや、雪も舞ったようで、神社の大屋根には残雪も残っていた。
早めに茶店でそば等を摂って持ってきたにぎりめしも食べ昼食とした。
御破裂山と談山を目指して登り、そのあと、車道ではない道を通って聖林寺に向かった。
たしかに人通りのない山道で下っていくのは我々だけだった。集落近くになると偶に軽自
動車が行き交うこともあったが、人気はないに等しかった。
しかし、下り一法だけにやや足にくる道ではあった。
聖林寺は、何回か立ち寄っているが、十一面観音にはホレボレするという御仁もいて暫し
落ち着いた一時を過ごした。
最初に、喫茶を頼んでユックリと拝観時間を取った。ここから晴れ渡った三輪山や遠く若
草山までを眺めるとその風情は何とも言いようがない景色であった。
帰りは、バスを待とうかとも思ったが30分程度もあるので前と同じく徒歩で駅に出ることとした。あとから分かったことながら、取れたて野菜と書いた店で大根を所望するという御仁が入ったが、その店でウッカリ一眼カメラを忘れた、とのことだった。店の人が警察に届け出ていてくれたので取り戻すことが出来たのが幸いした。
反省会はいつもの通り八木駅前で約2.5時間程度ワイガヤに及んだ。
次回が今年最終の散策行としようと一致。
 
 斑鳩周辺〜王寺駅
 今年最後の散策行実施。久しぶりに9名の参加者が集い、近鉄筒井駅をスタート。
今回はこれまでのメンバー紹介のM氏が新たに加わっての散策行となった。
新メンバーのかって知った周辺でもあり、法隆寺門前の昼の昼食時には雨にも降られたが降り続くこともなかったため、予定通りJR王寺駅まで無事完走。駅前での打ち上げ会を最初は餃子の王将で大いに盛り上がり、世話役等はここで引き上げたが、なおも二軒目に
繰り込む御仁達もいて久しぶりの散策二次会となった由。

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